研究者になり、ツール等を作るのが夢な僕は、将来プログラミングにかかる時間が画期的に減るツールを開発したいと思ってる。そいで多分将来数々のプログラマの首を間接的に切ることになるし、そうなりたいんだなぁと思ってる。
町には僕のせいで仕事を失ったプログラマがアルミ缶とダンボールを集め、プログラマゾーンと呼ばれる地区に寝泊りする。昔は毎朝アセンブリを食べてたのに、リアルにはそれで腹が膨れるわけも無く、毎日コンビニから出されるゴミ袋をあさる。デスマーチの連続で死んでいった友と今の自分を比較してどちらが幸せだったか考える毎日。
しかし首を切られたプログラマも黙ってるわけ無く、そのうち


「kh*のツールを使うのはやめろ」
型推論されたプログラムなんて人間の温かみが無い」


とかいって、伝統工芸復権のように、人間が書いたコードに付加価値を求めるようになる。
輪島漆器や有田焼みたいにその土地によってその土地固有のプログラムコードが生まれ、例えばつくばコードとかは研究学園都市の計画された秩序が見えると、ソースコード鑑定人が言うわけだ。
ソースコードを読む事が完全に趣味として認識されるようになり、奥様方は旦那さんが仕事に言ってる間、コーディング教室でソースコードを書く練習をする。定年退職後の趣味としてコーディングは大人気。
あれ、よーく考えてみたら奥様がたにコーディングを教えるのはあの首切られたプログラマでよくね。
よーく考えてみると、僕がやりたい事が実現してもプログラマは一時的に路頭に迷うだけで結局丸く収まるんじゃない?それほど僕も酷い人じゃなくなったな。